2023/11/01

恋文(2023年11月号)

社長コラム

介護人材サービス『+ホップ』の代表を務めております、山本直生と申します。

この「恋文」は、日ごろの感謝の気持ちをお伝えすべく、私が一方的にお送りしているもので御座います。

幸不幸は「行って来いでチャラ」

日を追うごとに寒さが増してくる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今月も「恋文」を読んでいただき、誠にありがとうございます。

イマイチ内容が薄いものとなっておりますが、あくまでも真面目に一生懸命に執筆しておりますため、引き続き温かい心で読んでいただけますと幸いです。

さて、日常生活でちょっとした不幸・不運に遭遇するものです。最近の私でいえば。

  1. 娘が車の鍵をベロベロになめて、センサーが効かなくなってしまう(水没と判断)
  2. で、鍵をディーラーに発注したのですが在庫不足で取り寄せに数週間かかるとのこと。
  3. で、ようやく届いたというので、中野の工場まで歩いて取りに行くと、なぜかおなかが空いたので通り道のラーメン屋に吸い寄せられるように入ったら、これがヒジョーにマズい。
  4. で、ようやく辿り着いて受け取った、スペアキーの値段が1個なんと2万。トホホ。。。

 

その他、ここでは書けないような細々とした問題が集中発生し、まぁ、中には単に自分のミスもあるのですが、わりと運が悪いのです。

何が言いたいのかというと、これが最高の幸運ということでございます。

僕が一人で唱えている「行って来いでチャラ」理論は一人の人間の幸不幸にも適用されます。

誰しも、幸と不幸をバランスしたあとの量はだいたいみな同じ。日常生活には必ず一定の不幸が押し寄せてきます。

ということは、いかにして日常生活で不幸をコンスタントに積上げておくか、これが大切。

そうでなくては幸運もありえません。

時と場合によっては、もうわざと不幸を経験してもイイぐらいです。

 

今年もあと1ヵ月です。12月は間違いなくイイ月になるでしょう。

もちろん間違いなく悪いこともいっぱいあるだろうけど。

ようするに、ちょっと時間軸を長くとって(10年とはいわない。3年でいい)俯瞰してみれば、幸運も不運もないと心得ております。

これが「行って来いでチャラ」理論でございます。

 

皆さまにおかれましては、不幸の積み立てに是非とも前向きに取り組んでくださいませ。

山本

福祉が笑えば、日本が笑う

みなさんSDGsという単語を聞いたこと、あるいは、カラフルなバッジを見たことはないでしょうか。

<Sustainable Development Goals>の略で、最後の小さな「s」はゴールズと複数形だから付いています。

訳すと「サステイナブルな開発目標」となりますが、「サステイナブル」は「持続可能」ということであります。

要は「世界各地にある問題を解決しながら、経済発展や開発をしていこう」という話しです。

 

世界が抱える17個の問題に対し、それぞれ具体的な目標と対策が決められているのですが、3つ目に「すべての人に健康と福祉を」という項目があります。

アフリカ地域では、2人に1人の子どもが、かぜで肺炎になっても治療を受けられない現実があります。

一方、先進国では生活習慣病や精神病など別の「病」によって命を落とす人が後を絶ちません。

健康に関しては、経済力に関わらずどの国でも問題となっているのです。

 

ある調査では、ウツ病ないし、ウツ病だった人は日本では16人に1人。

その率から計算すると、北海道ひとつ分の経済活動が失われていると聞きました。

つまり日本は、本州・四国・九州のみでこのグローバル経済の時代に世界と戦っているのと同等です。

介護業界では離職理由の上位に常に『職場での人間関係』が入ります。

ホップではこの問題に対する取り組みを応援すべく、お客様にお配りするカレンダーを作成いたしました。

『福祉が笑えば、日本が笑う』

 

SDGsと聞くと、とても大きな問題に対して国や大企業だけが取り組むものと考えてしまいます。

遠くのアフリカの子どもたちが育つ環境に想いを馳せながらも、まずは中小企業として一緒に働く皆様のメンタルを含めた健康と福祉に貢献する、こんなこともSDGsなのではないかと私たちは考えるのです。

 

派遣会社として、私たちホップができることは限られるかもしれませんが、皆様にとって一番近い存在となり、日々の小さな悩みを共有させていただくことで、少しでも皆様の心が軽くなればと考えております。

介護は、閉鎖的な環境のため人間関係を良好に保つのが難しい傾向にあります。

一方で、多くの人にとって「生涯で最もいる時間が長い場所」であるのが職場です。

この職場を少しの工夫で明日からもっと楽しめることができたら、と常に考えております。

私たちホップは、福祉領域で働く方々が健康で笑顔でいることが、日本全体の幸せに直結すると信じでおります。

そのために、他社とは違う取組みとして「待遇面」「福利厚生」はもちろん、悩み相談から日頃のコミュニケーションをとても大切にしていきます。

この恋文でも一番お届けしたいのは素敵な「情報」ではなく、日々の疲れが安らぐ「元気」だったりします。

偉い仕事、偉くない仕事

「なりたい職業ランキング」。

僕は以前から、毎年発表されるこのランキングに疑問を感じている。

毎年、介護職はランキング上位に入ってこないし、我々のような人材営業も圏外の常連であります。

 

だからといって気にすることはありません。

人気(=なりたい)と需要は比例するが、人気と「必要性」は比例しないことはコロナ禍で証明されている。

第一に、職業に貴賤はない(はず)のに、ランキングという「順位」がつけられていることに違和感がある。

 

このランキングは全国の小学生にアンケートを取り、その結果を集計したものらしい。

「将来の夢は?」と聞き、その回答数に応じて「なりたい職業ランキング」が作成されるというのだが、ここでもう一つ疑問が出てくる。

 

それは、なぜ将来の夢=職業なのだろうという点である。

 

うちの3歳の息子に「将来の夢はなに?」と聞いたら「すべり台行きたいっ」と即答で返ってきた。

そりゃそうだ。

子どもだったら、もっと「一日中遊んでいたい」とか「恐竜を見てみたい」とか「宇宙を冒険したい」とか言っていても良い気がするが、スポーツ選手になりたいとか、ダンスの先生になりたいとか、どうも「将来の夢=仕事の種別」になっているようだ。

よく考えたら、おかしいと思う。こうなるのは大人が悪い。

子どもが小さいときから「大きくなったら何になるの?」なんて尋ねたりするのだが、そこで言う「何に」というのはほぼ職業のことを意味している。

だから、うちの息子のように「すべり台やりたい」とか「ミニオンを見たい」とか言ったら、すぐに赤ペン先生が登場して『違うでしょ。お仕事はなにするの?』と訂正してくる。

 

僕たち大人は職業や年収が、その人のステータスや人間性であるかのように勘違いしている。

だから、自分の可愛い子どもに対しては「なりたい職業ランキング」で上位の職業に就いてほしいと、自然に思ってしまう。

今回のコラムでは、偉い仕事とは何か?逆に、偉くない仕事とは何かを書いていきたい。

偉い仕事とは何か

飲み屋に行けば、年収や役職や業界の話しでマウント活動をしているマウンテンゴリラがごろごろいる。

学歴や家柄でマウントを取るタイプのマウンテンゴリラもしばしば見る。

僕自身、学歴も職歴も特筆すべきことがないので、いつもマウンテンゴリラの餌食になるタイプだ。

簡単にマウントを取られ、成すすべなく時間が過ぎる。

そのくせ会計は割り勘だったりするから、本当に腹が立つ。笑

 

ただ、世の中には「性別も年齢も家柄も国籍も 外見も年収も過去も何もかも全部 関係ないのが恋だろ 乗り越えられんのが恋だろ」と歌ってる人もいる。

僕もその通りだと思うし、そのような情熱的な恋愛をしたいとも思うが、現実問題として、大人になると上記項目のすべてを気にしている、、、

自分が思うだけならまだしも、他人にまでその価値観を押し付けたりする。

 

職業や年収や役職が、そのまま「人としての価値」になるわけではない。当たり前ですけど。

なので仕事に、偉いも偉くないもない。そしてランキングなんてつけようがないと言うのが事実だろう。

「末は博士か大臣か」。昔、子どもの将来を期待して語られた言葉。

もはや死語になっていますが、博士に関してはノーベル賞を受賞するような人もいて、子どもたちの憧れの対象であるのは分かるが、さっぱりなのが、もう一方の大臣である。

「ぼく将来は大臣になるんだ!」と目を輝かせている子どもに会ったことがない。というか、いたら怖い。

 

職業ランキングがそのまま職業差別につながることは容易に想像できる。

人気な職業は「偉くて」、不人気の仕事は「偉くない」という錯覚すら起こさせる。

職業に貴賤はない。

「偉い仕事」というのは、つまり給料が高いとか、能力や人気で選ばれた者だけが就けるとか、そういった「ポスト」を示すようですが、その偉さは、たいていの場合は賃金によって既にペイされている。

 

つまり、そういう「偉そうな仕事」をしたら、その分の高給を得ているわけで、それでその偉さは差し引かれているというのが僕の考え。

もし、賃金は一切いらないというのなら本当に偉いとおもうけど、金をもらっているなら、それでいいじゃないですか、と僕は考えてしまうのです。

 

たとえば国を動かす凄い仕事をしているといっても、それだけのお金をもらっているのなら、それくらいしても当たり前なのでは、と考える。

自分より役職が下の人に命令ができる人が偉いわけでもない。

命令を聞く人たちは、その分の賃金を得ているから言うことをきくわけだし、また、命令できるのも、それは単にその場に限って通用するローカルルールがあるだけのことで、ようするに一種のゲームだと思えば分かりやすい。

 

鬼ごっこするとき、鬼はべつに偉いわけじゃない。

鬼が怖いから逃げているのでもない。

そうゆうルールなだけであり、どちらの立場も嫌ならいつでもゲームから降りることができる。

 

なんども言うが、職業に貴賤はない

なのに、若い人は「カッコイイ仕事」に憧れる傾向がある。

このカッコイイ仕事が良いというのは何なのか、僕には正直なところわからない。

例えばデザイナーは清掃業者よりはカッコイイのだろうか、その理由を教えて欲しい。

指揮者は演奏者よりも偉いわけじゃないが、やはり音楽家の多くは指揮者希望らしい。

これも不思議だ。

営業職よりも、それを指示する企画職の方が人気だし、本社で働く商品開発部が一番の花形であり、やはり工場にいる整備士にはなりたがらない。

その理由を是非教えて欲しい。

体力を使うのはカッコ悪いのか?と訊かれれば「いいえ、身体を使うのは大好きです」と答える体育会系の学生も、やっぱりデザイナー志望だったりする。

仕事の影響度やスケールも関係ない

国を動かすとか、未来を築くとか、それは個人の力によるものではない。

そういう力を持っていると錯覚しているだけだ。

もちろん、そのような職種に就いている人が偉いわけでもない。

権力を握るのも、大きなお金を動かすのも、仕事上の立場、つまりルール上に成り立つものであって、個人として特に偉いわけではない。

 

「俺が国を動かした」と言いたいのかもしれないが、せいぜい「関わった」という程度のものにすぎない。

そんなこと言ったら、ほとんどの人が選挙を通じて国を動かしていることになる。

例えば、巨大な橋の建設に関わった人は、大根を毎年収穫する人よりも偉いわけではない。

そういうものに「未来」とか「やりがい」があると感じさせるのは明らかに言葉だけのイメージで錯覚を誘ってる。

ようするに「自慢できる仕事」みたいな他者の目を気にした浅ましさにすぎない。

イケイケの全能感

「古い世界をぶち壊す!」

「新しい時代を創る」

「海賊王に俺はなる!」

「もうワクワクしかしない」(←こうゆう人とは友達になりたくない)

「新しい景色を見に行こう」(←こうゆう人とは食事をしたくない)

 

とか言ってる人が起業したりする。

で、ちょっと成功してカネを手にする。

で、高価なクルマを乗り回し、高級な腕時計を見せびらかし、レストランでシャンペンをあおる。

「やっぱりシャンペンがないと昼飯はちょっと…」とか言う。同時に、若くて派手な女性を侍らす。

その手の女性(←こいつもこいつで自分の利得しか考えていない)や取り巻きにチヤホヤされて悦に入る。で、この手の種目で人と張り合い、マウントを取り合う(ゴリラがじゃれあっているように)。

おっと失礼、すこし口が悪くなってしまいました。。。

こんな人が多い。なぜかというと寂しいから。

仕事に今一つ手ごたえがないから。

そんなギラギラ見せつけ合い合戦は、やってることは旧時代旧世界旧世代とまるっきり同じ。

新しい時代でも何でもない。

まったく世の中変わってない。

どこにもワクワクがない。

いつかどこかで見た景色。

いまも昔も変わらない人間の性(さが)であるなと。

 

ようするに、いつの時代も上品な人(自分を知る人)と下品な人(自分を見失う)がいるだけ。

新しいも旧いもない。僕はこれが人間の分かれ目だと思っています。

 

つらつらと書きすぎてしまいましたが、、、

 

人は何で評価されるのか。

今回で述べたかったことは、仕事で人間の価値が決まるのではない、という一点です。

私も代表取締役とかカッコ良い役職をいただいておりますが、偉いわけでもなんでもありません。

銀行や株主や社員から、代表して取り締まられている人間というだけのことです。不自由な身分で御座います。

職業に貴賤はない。

《ホップの福利厚生》

 

\介護人材サービス/サービス詳細を見る