祖父との思い出と感謝の後悔
この季節になると亡くなった祖父のことを思い出します。
とても勤勉で頭が良く、寡黙で力強い、昔気質の男性でした。
私が幼少期の頃、母親が交通事故に遭い、長い間、入院生活を強いられる状況になりました。
そのため、小学生の時は祖父母の家でずっと育てられました。
父親は朝から晩まで働き詰めだったため、学校から帰ると祖父母の家にいき、寝るときに父親が迎えに来るというような生活が数年間続きました。
祖父は本をたくさん読む人で、その内容を私に教えてくれました。
小学生の私からすると、とても難しい内容なのですが、少しでも祖父に近づきたくて一生懸命に本を読んだのを覚えています。
今思えば進学や就職など、私が迷った時にアドバイスをくれたのも祖父でした。
そんな大好きだった祖父は2月14日のバレンタインデーに入院。
そこから昼夜離れず付き添い続けた祖母にお返しをするように3月14日のホワイトデーに息を引き取りました。
人は死に向かって生きてるとはいえ、永遠の別れがこれほど悲しいものだとは思いませんでした。
当時、私は東北エリアの責任者として仙台におり、病院に行けるのは週に1回がやっと。
時々、電話で励ましながら体の具合を推し量るしかありませんでした。
最後の電話は祖父が亡くなる前日でした。
病室から祖母が繋いでくれました。
聞き取るのが難しいほど小さくなってしまったか細い声で祖父は「なおき、頑張れよ」と言いました。
私が「うん、おじいちゃんも頑張って」と返すと、かすかに笑いました。
もう十分頑張り切ったよ、、、と言っているようでした。
覚悟を決めたんだと察し、私は翌日急いで東京に向かいましたが間に合いませんでした。
最後の電話で「これまで、本当にありがとう」と言うべきだったのではないかと今でも後悔しています。
照れ臭くて言ったことのない感謝の言葉を思い出にしてもらえたかもしれません。
しかし、まだ終わってないのに終わりを告げるのはいけないと思い、その時はその言葉をのみ込みました。
4月から新年度になります。多くの人にとっては「だから何だ?」と思われるかもしれないです。
学生時代のように、新年度に対してワクワクする気持ちや、一区切りする気持ちはないかもしれないですね。
今年度はまだ終わってないのに言うべきではありませんが、もう後悔しないために今度は言います。
皆さま今年度も本当にありがとうございました。そして今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
株式会社プラス・ピボット 代表取締役 山本 直生
感情のリサイクル
誰かに辛く当たったり、きつい言葉をかけてしまって、自分が嫌になる瞬間はないでしょうか。
でもそれは自分が悪いというよりも、環境や相性の問題であることが多い。
ついつい人は「本当の自分」や「自分の本性」があると考えがちだ。
なので、「自分」なるも のを探して、バックパックを背負う旅が流行った時もあった。
が、旅先に「自分」なる存在が落ちていて、それを偶然見つけるなんてことがあるわけない。
なぜなら「自分」は、環境によって変化するのが当然だからです。
バックパッカーとしてアジアの片隅を訪れ、夕日に感動したり、一期一会の人々と優しく言葉を交わす人がいたとする。
彼(もしくは彼女)は日本に戻ると、慌ただしい日々に忙殺され、空を見ることもなく、街で人とぶつかっても謝りもしない。
どちらが本当の自分なのか、という議論に意味はない。
単純に、余裕があるかないかで人間は変わるというだけの話だ。
人の性格は文脈によって変わる。固定化していないものである。
女優の蒼井優さんが結婚した時、「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要」と言った。
僕はただただ、彼女の語彙力と豊富な表現力に感服した。
いくら相手のことが好きでも、緊張したり、見栄を張ってしまうことがある。
それ自体が悪いことではないが、蒼井さんは「自分」の状態を起点に考えた方がいいと述べている。
同様の理由で、イライラしてしまったり、気に食わない人がいたら、できる限り関係を持つべきではない。
客観的にどちらが悪いかを検証することができたとしても、お互いの相性が悪いというのは事実である。
相手のいいところを見つけようとか、自分の心を落ち着かせようとか、そのような努力を重ねるくらいなら、距離を置くのが最もシンプルな解決法だと思う。
つまり環境を変えれば自分の気持ちも変わるということ。
もちろん、どんな相手にも向き合って、自分好みに変えようとしてもいい。
だが当然ながら、膨大な時間と労力がかかる。
転職や転居は大変だろうけど、相手の性格を変える労力に比べれば簡便である。
それに、人の性格は形状記憶合金のようなもので、 一度変わったようでも、すぐ元に戻ってしまう。
では、物理的に苦手な人と距離を取れない状況の人はどうすれば良いのだろうか。
今日のメインテーマであり、僕が編み出したワザはずばり「嫌な経験こそ記憶にとどめる」ということ。
僕が中学生の頃、音楽バンドのスピッツが初のベストアルバムをリリースした。
200万枚を超える売り上げで大ヒットを記録したのだが、発売はメンバーの意向を無視した、レコード会社の決定によるものだったそうだ。
その不和を象徴するように、タイトルには「RECYCLE(リサイクル)」という言葉が冠されている。
既発曲を再利用して商売しようとする大人の都合で出されたアルバムです、というメッセージにもとれる。
実際、今でもこのアルバムはスピッツ非公式扱いになっている。
当時、中学生だった僕は、スピッツの意向よりも、「リサイクル」という言葉の使い方に興味を持った。
リサイクルという用語自体は、空き缶など「廃棄物の再利用」という意味で、かなり古くから使われてきた。
特に日本では一般的な用語になっている。
英語でも同じ文脈で使用されることが多いが、アイディアやジョークの使い回しという意味もあるらしい。
いずれにせよ、新作のアルバムに付けるタイトルではないと思った。
『人生の様々な局面で「リサイクル」を意識すれば、効率よく生きていくことができるのではないか。』
僕が中学生の頃に抱いた直感は今でも正しかったと思っている。
誰もが不可逆的に、一度の人生しか送ることができない。
そして、全ての人にとって、時間の 流れはほとんど平等と言っていい(厳密に言えば、心理状態で主観時間は大きく変化し、アインシュタインさんの相対性理論では重力の小さい場所では時間の流れは速くなるらしい。知らんけど)。
良い事、悪い事。同じ経験をしてもそれを「楽しかった」や「つまらなかった」とその瞬間の感情で済ませてしまう人もいれば、後から何度も反芻(はんすう)して何かに役立てようとする人もいる。
僕の場合は、人前で話したり、文章を書く仕事をするようになってから、人生のコスパは劇的によくなった。この恋文にしても、中学生の頃、スピッツのCDに抱いた考えを、少し時を超えてリサイクルしている。
感情も再利用することができる。
日々をただのフローとして捉えるのか、ストックされていく資産のように考えるかで、人生は大きく変わる。
その瞬間は、イラっとしたり、悲しみに暮れたり、退屈だと思った出来事でさえ、後から価値を持ってくるかも知れない。
しかし、何がいつ、どのようにリサイクルできるか、先んじて知ることは難しい。
記憶は消せないからこそ、嫌な経験をした時ほど、来たるべきリサイクルのために、詳細を記憶しておいたほうがいい。
誰かを説得したり、反論したりする材料や話のネタになるかも知れない。
苦手な人とは距離多くのが一番だが、それができないときは「記憶にとどめる」。やっぱりこれが良い。
ただし、人生に無駄なことは何もない、という話ではない。
たとえばホップの同僚のIさん(36歳)は、毎日のようにくだらない親父ギャグを連発しているが、これは聞いた瞬間から忘れるようにしている。反芻する価値のない出来事もある。